古代ユダヤでは旧約聖書≪宗教・政治・テレビ≫

「レビ記」の定めに従って、年に一度ユダヤ人の罪業を山羊に身代りさせ、荒野に放つ儀式を行うことで、自らの罪科を贖ったという。

この故事から転じて、個人、集団、あるいは民族の苦難、不安、恐怖、欲求不満、罪意識から派生する憎悪、反感、敵意、攻撃的衝動を本来の原因からそらし、なんのいわれもない、報復や反撃の可能性の少ない弱者や逸脱者に転嫁し、非難と攻撃の標的として血祭りに上げることをスケープゴート化といい、身代りとして選ばれるターゲットが、スケープゴートである。

今村仁司が述べているように、スケープゴートは両義的存在者であって、受難者・犠牲者であるにもかかわらず、「共同体内部の人間の眼には暴力を体現するものとして恐れられる」。

この問題認識は、スケープゴート論に潜在的挑発性という視点を導入して新たな地平を切り開いた山口昌男や、バルネラビリティの概念を援用してスケープゴート現象を裏から照らし出した中村雄二郎の問題提起と響き合っている。

スケープゴートは偏見と差別によって選別されやすく、被害者は単に言語的非難・攻撃にさらされるだけでなく、身体的危害や社会的制裁を受けることも少なくない。

ナチスによって迫害されたユダヤ人や関東大震災時に虐殺された朝鮮人は、いずれも現代史上における痛ましい事例である。支配者や権力者は危機的状況に陥る場合、しばしば特定の少数民族、社会の少数者集団や逸脱者をスケープゴートに祭り上げて、民衆の不平不満、憤怒、不安、絶望などを巧みにスケープゴートに転移し、政治的、経済的、社会的危機を乗り越えようと試みる。

スケープゴート化は現代社会における大衆操作の手法として、ますます重要性を高めている。
update:2010年02月02日